そうそう。
そういえば、2,3日前には市ヶ谷のcasa cervantesで
『12 trajes para tokio /12着、東京へ』
という、イベントのオープニングがあった。
この展示のテーマは「スペイン文学とモード」。
はてな?
と思ったが、どうやらスペイン語で書かれた小説からインスピレーションを受けた
洋服が展示されているよう。
それに合わせて、マリ・クレールの生駒編集長、内田春菊さん、スペイン人小説家の方々を招いてパネルディスカッションがあったのでいそいそと出かける。
パネルディスカッションも終盤にさしかかった頃、内田春菊さんが突然ボソボソっと言った。
「そういえば、いつも思うんですけど、日本では水玉って『少女』とか『かわいらしい』というイメージがあって、年をとった女の人はあまり身につけないですけど、スペインってフラメンコの衣装にあるように、おばさんたちも普通に着ていますよね。だから、日本とスペインでは水玉のイメージの受け止め方が随分違うんじゃないかな、と思ったんですよね・・・。」
たしかに、そうかも?
そういえば、第一、言葉からして違う。
日本語は「水玉」というくらいだから、おそらく(推測だけど)、水滴とか雨とか、もしかしたら墨汁から落ちた滴からイメージから生まれていそうだけれど、スペイン語では、"lunar"(ルナール)、つまり明らかに語源は"luna"(月)。
ということは・・・
スペインの水玉は「月」の丸。
日本の水玉は「水」の丸。
同じ模様でも、文化によって生まれ方が違えば、そこから喚起されるイメージも違う。
ちょっと面白いな、と思った。