ああ、陽が沈むなあと思いながら、自転車に乗って近所を走っていた。
冷たい風で、手がぴりぴりする。
暮れて行く空をちらちらと見上げながら走っていると、ふと竹富島にいるような、
もしくはモロッコにいるような、またはメキシコにいるかのような、
不思議な心持ちになった。
なんとなく、この夕暮れの先に広がっている世界が
今私のいる場所とつながっていると思えた。
それと同時に、世界中どこへ行こうともこの夕暮れは変わらないのだ、とも思った。
夕暮れそれ自体や、夕暮れの下にある生活、夕暮れが人にもたらす気持ち。
どこへ行こうとも、きっとそういうものは変わらない。
どこへ行っても、必ず、どこまでも、ついてくる。
学生時代、一人でバックパックを背負い、様々な国を旅して唯一確信を持ったのは、
どこへいっても、そこにある人間の「生活」はさほど変わらないということ。
どこへ行こうとも、必ず日々の「生活」があるということ。
「日本人は日本に生まれた。好んで生まれてきたのではなくても、日本に生まれた。
日本語を使わなくては己を表現できない。それが定めなのです。
定めの通りに生きなきゃ、生きられない。
日本人は日本の伝統の中に入って考えないと、本当の自分を知ることができない。
でも、そこへ向かって行くと、必ず普遍的なところへ行くのです。」
そう言ったのは、小林秀雄。
実は、年が明けてから3日間朝から晩まで彼の講演会の録音を聞き直していた。
一回目に聞いたときとはまた違った言葉が耳に入ってきて、新鮮な感動が再び、
体中を走った。がつんと胸に響いてくる。
実は「小林秀雄」と聞いただけで難しそうだなあ、と
なんとなく敬遠していたのだけど、彼の講演を聞いていると、
これほど自由で、まっとうで、純粋で、人間的でかわいらしくて、
魅力に溢れた人はいないのでは、と思えてくる。
眠った脳や心をガンガン刺激してくる彼の明晰な言葉には、本当にドキドキする。
ピンと張りつめた冬の朝のような、すがすがしく明るい気持ちになる。
そんなわけで、
「感動から始めること」
そんなことを大切にしたいと、思いを新たにしたお正月でした。