是枝裕和監督の最新映画、『空気人形』を観た。
もう一本他の映画を観ようと思っていたのに、
とてもじゃないけれど、そんな気分になれなかった。
いいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、
そういう映画ではなくて、うまく消化できないけれども、
とても気になる”何か”が、
答えがすぐにないけれども、たぶん”大切な何か”が
そこにあるような気がしてしまう。
是枝監督の作品はいつも、そうだけれども、
ふだん、わざと蓋をしているものが、開けられてしまう。
まだうまく感じたことを言葉にできないでいるけれど、
あれは人形の”切ない話”ではない。
あれは、ワタシの話であり、現代に生きる人間の話。
そして、とてもとても強く心に残った一遍の詩。
この詩に出会えてよかった。
生命は 吉野 弘
生命は
自分自身で完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思えることさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光りをまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない