逗子駅から一色海岸へ行くバスに乗ると、右手には海、左手にはすぐに山が広がり、
細い道をくねくね海岸沿いに沿って行くことになる。
なんとなくそこを通るたびに、その山が「ニオって」はいた。
鎌倉も近いし、確かこの辺りは横穴古墳も結構みつかっているはず。
あの辺りの山ももしかして古墳だったりするのでは、となんとなく思っていたので、
逗子へ行く予定だった前日にふと気が向いてインターネットで調べてみると・・・
やっぱり!あった!
その名も「長柄桜山古墳群」。
4世紀中頃に作られたとされているが、まだ詳しい調査は行われていない。
1999年にアマチュアが発見した県内最大規模の前方後円墳。しかも、完全無傷の形で現存。
これらの古墳の発見は、これまで逗葉地区には前期古墳はないとされてきた定説を覆す大発見であったようだ。出土された埴輪、土器などの調査の結果、どうやら畿内ヤマト政権とのつながりが深い可能性があるらしい。
そんなわけで、これは行かなくちゃ! とさっそく翌日逗子駅へ。
そして、駅前でプリントアウトした地図を広げながら「どのバスだ?」「歩いていけるのかしら?」と高校時代の友達Mと言い合っていると、「駅前観光ボランティア」という腕章をつけたおばさんが近づいてきた。
「どちらへ行こうとされているのですか?」
なとなく「古墳へ・・・」と言いづらく、古墳群の近くにある公園の名前を言ってごまかした。
(この夏まっさかりの中、若いギャル<私たち>が逗子で海へ行かずに古墳へ行くなんていうと変な目でみられはしないか? と瞬時に判断。)
しかしああだこうだ、と言っているうちに、
「あ、行きたいのは公園というよりは、実はその裏の古墳群なんですけど・・・」
と言うと、おばさん顔色が一変。
「まー、ほんと! きゃー、嬉しい!」
なんと、このおばさんは「古墳を守る会」の会員の方であり、さらにその古墳群を発見者とともに役所に届けた張本人だったのだ。
びっくりしていると、「じゃあ、あと5分でこのボランティアの仕事が終わるから、案内するわよ!」と申し出てくれた。
突然の幸運が舞い込んできて、この偶然の出会いに胸が高鳴る。なんだかいい予感!
そして古墳郡の山に向かって歩いていると、田中さん(先の観光ボランティアの女性)が突如、
「あ、この辺にそういえば古墳発見者の東家さんが住んでるから電話して呼んであげる」といい、今度はあれよあれよというまに、まさに長柄桜山古墳の第一発見者である東家洋之助さんが登場!
古墳は逗子の海が見下ろせる高台の山の中に、本当に完全無傷であった。
およそ1700年くらい前の古墳の場所にたつと、なんだかゾクゾクしてくる。
しかも、横では田中さんが発見当時の状況や、今までにわかっていることなどを事細かに解説してくれる。こんな贅沢なことがあっていいのだろうか。
そして、山自体もとても美しい。それほど知られた場所ではないのでひっそりとしていて、昨日の雨で湿った空気が「生命」の気配をむんむんと漂わせる。
興味深かったのは、第二号古墳の上に、「平塚」という鎌倉時代に作られた「墓」があること。(写真)逗子は平家滅亡の地であるらしいのだが、おそらくはその「平家」の血筋のものが埋められているのではないか、と言われている。(ここの古墳群は古墳の大きさや土器、埴輪の調査までしか行われていない。棺などは発掘調査がされていないので、まだ土の中?!)
鎌倉時代の人たちは古墳をそうだとは知らずに、偶然同じ場所に「平塚」をたてたということだが、そんなことってあるのだろうか?
それにしても、古墳を訪れる度に、こうやって人間って死んだり生まれたりをずーっと繰り返しているんだな、と思う。何万年もぐるぐる、ぐるぐる、と。
そして自分もそのよくわけのわからない「サイクル」の中に取り込まれているのを思うと、「なんで?」「なんのため?」と答えのないギモンがぽんっと浮かんでは消える。
それにしても、美しい山の中、とても楽しい古墳めぐりだった。
3時間もの間、とにかく丁寧にガイドをしてくれた田中さん。
本当にどうもありがとうございました。
なんだかまた近々足を運んでしまいそうな予感。
やっぱり逗子っていいな。