たまたま仕事関係でチケットをいただき、彩の国さいたま芸術劇場で上演中の蜷川幸雄演出、「エレンディラ」 を観に行った。
ガルシア・マルケス原作、坂手洋二脚本、蜷川幸雄演出、というだけでなんとなくすごそうだが、実のところ想像以上の世界だった。
とにかくびっくりしてしまったのだ。こんなすごい世界があったのか、と久々に興奮し、それが今になっても冷めない。
演劇なんて久しく観ていなかったのだが(蜷川作品も実は初体験)、4時間という長丁場の舞台であるにもかかわらず、一瞬たりとも目をそらすことができなかった。
舞台が発する「気迫」というか「生命(舞台って生き物なんだ!)」に胸が高鳴り、そこで繰り広げられる世界に陶酔しきってしまった。
舞台を包む色、湿気まで肌に伝わってくる雨、不思議な登場人物たち。
めくるめくイメージの連続、重層的に重なり合う世界、まさに混沌とした深さのあるスケールの大きな南米のイメージそのもだった。私の生きる2007年東京とはかけ離れ「幻想的」でさえあるのに、こんなにリアリティをもって胸に迫ってくるのは、この原作の持つ圧倒的な力強さだろうか。
いつの時代も、どんな世界でも人間の永遠のテーマである「愛」。
生きていく上で直面する現実の問題と、それとは違うレベルで強く脈打つ「愛」。
のめり込んでいく感情。憎しみと慈しみが共存する矛盾。
絶望と欲望の表裏一体の関係。そして常にそこにある死の匂い。
スケールが大きいのに普遍的でもあり、心が大きく揺さぶられた。
また、主人公のエレンディラは娼婦であるのだけど、嫌々ながらも他に手だてがなく死ぬ思いでやっている仕事(男達と寝ること)と、愛しい人ウリセスと結ばれること、その二つが同じ行為であることの切なさを思った。「動物的快楽」と「愛を表現する」行為が同じであることに、なんだか神様のトリックのようなものを感じずにいられない。
この南米を舞台としたガルシア・マルケスの世界の大きさと深さを感じるためには、4時間という異例の上演時間も必然だったのだろう。
そんな作品を成立させるために戦っているスタッフの、並々ならぬ「思い」にもなんだか胸が熱くなった。こんな風に生きている人たちもいるんだな。
世界はやっぱり広いみたい。