おととい出会った、「これは、まさに」とうなずいた言葉。
社会人になってからなんとなくうっすらと感じていたことをズバリといっていて、ついついメモ。
最近、やたらと猪谷六合雄さんとか縄文時代が気になるのにも通じているかも、と思います。
「お金や物をたくさんもらったり、やりがいのある仕事や地位を得ても、人はそれだけでは本当に満足しないですよね。それはなぜかと考えると、人間は何千、あるいは何万という対応能力を持つと言われています。農業もできれば、探検家にもなれれば、恋愛もするし、近所の人と一緒に働きかけて、高層ビルが地域に建たないようにすることもできる。本当にいろんなことに、対応できる能力を持って居るんです。それを大いに活かして、いろんな経験をして、全体として生きて初めて、満足感が得られるんだと、私は思う。『全体として生きる』ことがすなわち『生活者として生きる』ことなんです。ところが、そういう人間的な生き方が、今、この日本という国ではすごく拒否されているんですよね。(中略)
・・・それはすごく病的な生き方だと思うの。遊ばずに勉強して、家庭を顧みずに一生懸命働いて、エリートコースを歩んで出生する人生が素晴らしい、って思われているけど。そういう人は、自分の可能性の一部分しか使っていないですよね。全体として生きていない。」
(暉峻 淑子)