昔のメモをぱらぱら見ていた。
どうやら時間がたっても、考えている事って基本的に変わってないみたい。
その中で、今でもふと思い出す人の記事のメモを発見。
確か、2,3年前の「Grazia」のインタビューページで読んだもの。
とても的を得た言葉に大きく頷き、今でもふとこの人の言葉を思い出す。
忘れないように、ここにもメモしときます。
以下抜粋。
「(中略) お金や物をたくさん持ったり、やりがいのある仕事や地位を得ても、人はそれだけでは本当に満足しないですよね。それはなぜかと考えると、人間は何千、あるいは何万という対応能力を持つと言われています。農業もできれば、探検家にもなれれば、恋愛もするし、近所の人と一緒に働きかけて、高層ビルが地域に建たないようにすることもできる。本当にいろんなことに、対応できる能力を持って居るんです。それを大いに活かして、いろんな経験をして、全体として生きて初めて、満足感が得られるんだと、私は思う。「全体として生きる」ことがすなわち「生活者として生きる」ことなんです。ところが、そういう人間的な生き方が、今、この日本という国ではすごく拒否されているんですよね」「……それはすごく病的な生き方だと思うの。遊ばずに勉強して、家庭を顧みずに一生懸命働いて、エリートコースを歩んで出生する人生が素晴らしい、って思われているけど。そういう人は、自分の可能性の一部分しか使っていないですよね。全体として生きていない。」(暉峻淑子)